ベンジャミン・バトン 数奇な人生

nombre2009-03-19

そういえばこの間、レイトショーで『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を見てきました。スコット・フィツジェラルドの原作を脚本化した、エリック・ロスの手腕が冴え渡っている作品です。
エリック・ロスといえば、あの『フォレスト・ガンプ/一期一会』の脚本家です。あの短編をここまで拡大(167分!)しながら、無駄なところが一切ないところが素晴らしい。老いて生まれ、年をとるごとに若返るベンジャミン(ブラッド・ピット)とその恋人デイジーケイト・ブランシェット)。デイジーは死の目前、娘に自分たちの過去を語りかける。それが、この映画の基本的な進行です。オーソドックスといえばその通りですが、それを退屈させることなく進めるにはおおくの技が必要です。作品中、ベンジャミンの成長が描かれますが、それは彼の生まれながらにして老いている悲哀と背中合わせであるという面を、デイジーとの交歓だけではなく、周りの老人たちと対比させることで浮き彫りにしていきます。たんなる色恋のお話では、ここまで長大な作品はできなかったでしょう。
ところで、いくら脚本が優れていても、この映画では物語の進行に大きな壁があります。老いて生まれる、という設定自体が、通常の時間軸で考えるわけにいかないからです。これを可能にしたのが、俳優たちの名演でした。ピットの「老人」は、所作はもとより、その目の動きによって幼さを表すことに成功しています。ピアノを教わる際の鍵盤を見つめる目線が特徴的でしょう。ケイトの場合も、少女の演技がほぼ文句なしといったところで、エレガントな赤のドレスに身を包みながら踊るすがたは、彼女が作品中語るように、ラインが若さを物語っている。
また、演技だけでなく、CGも完璧でした。仄聞するところによると、老人姿のベンジャミンは、顔だけがピットで、身体は別の役者のものとのことで、私はまったく合成に気付きませんでした。
原作がもっていた悪意(老人と幼子の違い、もっといえば周りによる扱いにどれだけの違いがあるのかという点)も、あっさりとではありますが、実に巧みに配置されています。
総じて素晴らしいと思える作品ですが、疵をひとつ指摘するならば、音楽がウェットに過ぎる点です。仕方のないことですが、それだけが惜しまれました。