中村善策「明科の里」

北海道立近代美術館で開催中の「ミュシャ展」は、思いの外面白かった。目の肥えた御仁たちからは様々に注文があがるのだろうし、それはそれで良い。だが、美術館が、近美コレクションとして「国貞が描く、江戸美人勢揃い」を同時開催しており、ミュシャを観た後にアール・ヌーヴォージャポニスムを確認するという企画の意図には、文句なく頭がさがるだろう。
が、個人的に一番良かったのは、もうひとつの近美コレクションの、「春季名品選」と題された企画だった。中でも中村善策の「明科の里」は素晴らしかった。中村の明るい人間味が画面全体に溢れ、ちょっと歪んだ木や道や坂が、実に楽しげに並んでいる。
自然といえば「荒々しい」とか「厳しい」といった形容詞をつけたがり、また多くの画家はそうしたものを描いてきたけれども、中村善策は「人間がいる自然」を描いた。画面に人間が登場するということではない。人間とともに生活する自然が描かれているということだ。ただ厳しいだけの自然は、人間には耐えられない。裏を返せば、たぶん、誰よりも自然の厳しさが、身に沁みていたのではないか、と思わせる。
ミュシャや浮世絵の、豊かな構図や装飾と、中村善策の絵。絵の技術については知らない。が、いずれも人間が生活する上で、削ぎ落とすことができなくもないものを、大切にいとおしんでいるように思える。それは、いっけん無駄なものだが、無駄なものとは言い換えると、人間の優しさかもしれないし、愚かさかもしれない。