スイミング・プール

スイミング・プール 無修正版 [DVD]
フランソワ・オゾン監督の『スイミング・プール』は『8人の女たち』の翌年に公開されている。主演はおなじみのシャーロット・ランプリング(サラ)とリュディヴィーヌ・サニエ(ジュリー)。物語は推理作家サラが編集者ジョンの事務所へ赴くところから始まる。若手作家ばかりを相手にするジョンが気に食わないサラは、ジョンに様々に言いがかりをつけるが、対するジョンはフランスにある自分の別荘へ行くことをサラにすすめる。後から自分と娘も行くことを言い添えて。こうして舞台はフランスへと移る。静かな自然の中で仕事が捗るサラだったが、ジョンの娘ジュリーが到着してから静寂さは消え失せる。ジュリーは取っ替え引っ替え違う男を連れ込み、夜となればマリファナやセックスに興ずるのだ。当然対立する二人だったが……。
と、このようなありきたりな映画紹介をしてみたのは、この作品が推理もので、なおかつオゾンならではのメタ・フィクションが仕掛けられていることから、取り敢えず話の初めくらいは抑えておくことをおすすめするためだ。ラストのドンデン返しは観客を呆然とさせること請け合いである。かくいう私も苦笑いしながらそのラストを堪能したのだが。
オゾンがしかけたラストの謎に拘るつもりはない。検索すれば山ほど解釈は出てくるし、それらの解釈で足りるという気もする。したがって違う方面からこの作品の感想を言いたいと思う。
大女優シャーロット・ランプリングは、映画好きならばご存知のとおり、『愛の嵐』において裸にサスペンダーとナチ帽の格好で踊るシーンが有名だろう。今作では57歳(当時)となった自身の身体を惜しげもなく披露している点はやはり見所なのだろう。フランス人の年増好みは困ったものですね、という皮肉は心の中にしまっておくべきである。さて、対となるようにリュディヴィーヌ・サニエの裸体は若々しくハリがあり、男の欲情を掻き立ててやまない。色気が感じられないという不感症じみたレビューを散々みてきたので反発心でいっぱいであるというのは心の中にしまっておこうと思ったが、面白いのでこの点を考えてみたい。
二人の裸体を並べてみた時、オゾンのカメラは容赦なく「女性性」を暴きだしていることが分かってくる。
かつてゴダールが『カルメンという名の女』において、全然性欲を感じさせない「女性」を撮った文脈と、むろん繋がりはあるだろう(音楽がブツンと切れるゴダール印まであるしね)。しかしオゾンは、そうした身も蓋もない暴露も、やはり男性的なものであることを分かっているのではないかと思う。たとえばジュリー(サニエ)が起き抜け、シャツを着ようとしているシーンでは、乳房は男性を前にして女性が誇示するそれではない。単なる身体器官の付属物であるし、あるいは女性が普段面倒だと思いながらぶら下げているものに過ぎない。この点こそが重要で、「女性が男性を前にしない状態で露になる性質」こそが、オゾンの暴いたものだったのだ。
サラ(ランプリング)の裸体は、その点、男を誘惑しようとする意図のために、オゾンのカメラもやはりジュリーとは反対の撮り方となる。男の視線を借り、欲情をかきたてるように脚から上半身へとカメラはパンしていく。これが、「サリエよりもランプリングの方が色気がある」と言われる所以だ。
つまりオゾンは、ランプリングをきちんとたてたという見方もできるはずだ。そのほうが悪意があって、サリエに欲情しないと叫ぶよりもずっと面白いと思うけれど。