文庫本を狙え!

文庫本を狙え!

  • 坪内祐三さんの『文庫本を狙え!』(晶文社)を読んだ。書評の妙を存分にあじわえる作品だとおもう。
  • 書評に限らず、批評というのは、作者なり読者なりの「痛い」ところをつかなければ、たんにAmazonのレビューにとどまる。しかもそれは、ただの批判を指すのではない。いわば「本質」のようなものをえぐりだす作業のことだ。だから、好意的な書評であっても、つねに「痛さ」はつきまとう。
  • 本書はそうした「痛さ」を前面にはださず、あるいはそれゆえに、坪内さんの鋭い眼が光っているのを感ずることができる。いま手元にないので具体的な引用はできない(たしか『本屋でぼくの本を見た』の書評がいちばんわかりやすかったとおもう)が、「痛さ」というのは、ときに、直接的な批判よりも遠回しにいったほうが、より「痛い」ことがあって、そうした技巧もまた、書評の愉しみかたのひとつとなる。
  • もうひとつ本書の優れている点を挙げれば、作者の坪内さん自身が、なにより愉しんでいることだ。おなじ誕生日の有名人を探したり、おもわぬところで繋がる人脈のはなしは、いっしゅ内向的オタク的な感じがしないでもない。ただ、それがおもしろく芸になっているのは、過剰であるからだ。過剰である、というのもまた、表現者のタイプのひとつであるし、大事なことなのだ。
  • ところで、Amazonのレビューにもずいぶんと「痛く」しようとするものがある。某ケータイ小説のレビューは有名になったが、私にはいかにも簡単な皮肉とみえる。皮肉というのも使いようであって、間違えれば批判者その人の能力まで垣間見えるものだ。だからこそ、批評もまた作品なのである。