余裕なんてない

  • 「しぐれ」は、川端が50歳のときに発表された。双子の娼婦のもとに、旧友須山と通う話。なんども遊んでいるうちに、どちらと寝たのかわからず、同時に語り手の個別性をも損なう様が描かれる。「二人で一人、一人で二人のやうな、このめづらしい娼婦には官能の刺激ばかりでなしに精神の麻痺がありましたが、それがさめた後の今は須山と私とはお互ひの憎しみをかくすやうに顔をそむけあひ女をなかにして歩くのでありました」
  • 人間に個性はあるだろうか。ないような気もする。現象としての個性は影である、と言い切るとフッサールに怒られるだろう。
  • 自己欺瞞を許さない態度は立派だが、自分が時に欺瞞的な言動を思い、行う存在であることも認めなければならない。
  • 「人の心を救うことがあるから宗教を許容する」という言い草を私は嫌う。もっとも大切なことを、そうそう簡単にあんたに「許容」されてたまるかと思う。が、同時に、そうした「許容」は言葉でないにせよ、そこかしこでやっている自分もいる。
  • 他人への嫌悪と呪詛は自意識家にとって自分の首を絞める行為である。
  • ウェブでの知り合いの方々は、ある方面で有名な方が多い。最近お話をしていなかったら、前とはなんだか違うふうになっていて、興味深かった。私は相変わらず誰にも理解されずにやっていこうと思った。私が孤独を好む奇人変人だからではない(たぶん)。他人と関係をもって、楽しんだり喧嘩したり媚びたりするのは、日常生活だけで十分だと思ってしまうからだ。疲れているんだろうか。しかしそれなら、小さい頃から疲れていた気がする。