スカイ・クロラ

じつは、3週間くらい前にポニョを二回観た後スカイ・クロラも観たけれど、感想は書かなった。理由は、私にはピンと来るものがなかったから。
私には、押井監督がすでに持っている手札で遊んでいるようにしか見えなかった。むろん、技術的な新しさや意匠はあったし、良いか悪いかは別として、その意味での挑戦はあったのだろうと思う。しかし、宮崎監督によるアニメーションの破壊を前にしては、何もかもが虚しいものに映ってしまう。しかもラストは、現在を変えるために生きろとか、同じ日常の繰り返しに耐えろとか、つまりどこかで聞いたような話でしかない。我々は、たいてい、どこかで聞いた話しか経験しないものだし、紋切り型を排除しても行き着くところはやはり紋切り型であるというのが普通であるけれども、行き着くまでの過程が表現されなければ説得力に欠けてしまう。「メッセージ」を伝える(体感させる)力がないということ。
あと気になったのは、雰囲気をつくりだすための演出。太陽と空と芝生をバックに飛行場のコンクリートすれすれに据えられたカメラの前を犬が走る、部屋の扉を開け、閉めるまでの沈黙、冷蔵庫の開閉、瓶ビール、夜の街、人のいないボーリング場、アレンジメントされた花などなど。攻殻機動隊以降繰り返してきた云々という話ではなく、私にはもう、ぐっとくるものではなくなった。アニメ版エヴァンゲリオンにおいて、シンジがウォークマンをしながら山手線に無為に乗るシーンで、シンジと同じ気分に浸れた10年以上前の自分とは、遠いところに来てしまったのだなあと思う。というと、皮肉のように聞こえがちだが、全然そういうことではない。ただ、押井監督の演出が、身も蓋もなく言えば古びているんじゃないか。古いこと自体は悪いことではないけれども、自意識はあるのだろうか。私にはそれは感じられなかった。