断片

  • 悪口というのは芸がなければ面白くない。芸のある悪口は感動する。たとえ自分にむけられても。悪口はつかいよう。
  • 解釈をせずにありのままに受け止めよ、と、「芸術家」も「先生」も、今まで散々言い続けてきた。ありのままに受け止めることの不可能についてあまりにも無頓着だ。ありのままに受け止めることが重要なのではない。解釈の枠こそが重要だ。「絵の本質は額縁にあり」とチェスタトンは言った。額縁は解釈だ。額縁の大きさを知らないのに、どうして絵の大きさを知ることができるだろう。「額縁に収まりきらない絵の深さ」とでも言うのだろうか。陳腐である以前に、解釈の枠の狭さが気になる。
  • 言葉は行動ではない。が、言葉の行動はありうる。このことが分からない人は言葉についてなにも考えていない。
  • 「ブロガー」と自慢げに書いている人を見かける。「ブログ」を書いている人というだけで、なんのステータスがあるというのだろうか。私には全然分からない。そもそも、「ブログ」なるものが大したものであるという認識自体、私は否定的だ。ウェブが人を成長させる? 人脈が広がる? 知識が広がる? どれもありうるが、ウェブでできることはもっと小さなことだというのが私の立場。トラックバックだのなんだの、「ブログ」を書いていることを少しでも恥と思うならば、忌避すべきものだ。私は、こんな文章を世間様に晒しているのは非常に恥ずかしい。しかし、書かかねばならないという正体不明の気持ちがこうさせている。これは恥に過ぎないし、さらに恥を上塗りするようなことは狂気だとしか思えない。
  • というか、人間を成長させる、進歩させるという思想は相変わらずなくならないのだな。道具が開発されるにつれこういう言動が出てくる。人間は本当に進歩するのか? その答えは自明ではないのか。いい加減気づいたらどうか。