断片

  • うちのこの文書*1の名前を、いいかげんわざとらしいスノッブ風のフランス語*2から日本語になおしたい。けれども、いい名前が思い浮かばない。なぜアルファベットがよかったかというと、単純にアンチエイリアスがききやすいから*3です。つまり、見た目の問題でしかない。しかし、日本語の語感は日本人からみればベタベタしやすいし、よくある「詩情あふれる」なんだかよくわからない名前も嫌だから、とてもむずかしい。できれば「〜と〜」みたいな簡素・簡潔な名前にしたい。
  • 季節性情動障害はとてもよくわかる。自分もそうじゃないかとおもう。さいきん、陽のでる一日がとてもうれしい。朝、日光があるだけで全然ちがうのだから、人間というのはとても弱いものだとつねづね感じる。それでも、私にとっては「最悪の事態は避けられた」という程度にしかならないのだが、それでも「これで太陽がなかったらどうなっていたんだ」とおもってしまうほど、最近は太陽に感謝している。お天道様、という感覚が、むろん日本人のみによらないのも、だからなんとなくわかる。
  • まだ途中までしか読んでいないけれど、日本ぶらりぶらり (ちくま文庫)を読んで困ってしまった。私がそうとう汚れているのだろうとおもう。また、このようには生きられないな、ともおもった。俗っぽさとか業とか、こういうものの中でしか生きられないなと。しかし、とても悲しいことだ。だからさいきんは、宗教というのがよくわかるようになってきた。むかし読んだチベットのモーツァルト (講談社学術文庫)は信用できなかった。「文章がすばらしい」という感想しかなかったけれど、なんとなく、彼がいいたかったこともわかるような気がする。今でもなかば、要約的に読む(≒いわゆるポストモダン的な言葉に還元する)読み方をしてしまうとおもうのだけれど、もう半分は、わかる。

*1:私はいまだに「ブログ」という言葉に抵抗感がある人間なのです。それに、日記ともちがうし

*2:もとはゴダールの「言葉の力」で、要するにパクった

*3:さらにいえばWindowsのせい / みんなMacならこんなことで悩まない / と、久々にマカーであることを主張してみる