思想と芸術についての考え

山口瞳をどうしても好きになれなかったのは、彼の創作物を理解しようとしなかったからだ。しかし、私はさいきんになって、ようやく山口瞳のよさがわかってきた。礼儀作法入門 (新潮文庫)は山口のロングセラーだが、小説家がエセーのたぐいでこうなるのは、私にはあまりよいものとうつらなかった。しかし、いまとなって考えると、生き方というのがすでにして思想であり芸術なのであれば、やはり彼は立派な芸術家だったのだとおもう。「箸の上げ下ろしの一刻一刻が人生だ」と記す彼は、吉行淳之介に「庶民そのものである」と評された。しかし後年、北杜夫に「庶民ではなくなった」と非難された。これらの山口に対する評価のちがいは、どのようにして生まれたのかは解説しないし、する必要も感じない。ただ、山口にとって、「箸の上げ下ろし」がどのようなものであったのかを理解すればよいのだとおもう。
大仰な言葉を並べたて、時流にのって批評めいたことをしても、それは思想でも、ましてや芸術でもない。ウェブのいわゆる思想系とおぼしき文書のおおくは、まったく思想のていをなしていない。なぜなら、そこには生活がないからだ。逆をいえば、生活こそ思想である。と、この断言は、青山二郎の受け売りであることをあっさりと認めた上で、白洲正子の文章を引用しておこうとおもう。

そのアパートは、今のマンションとは違って、病院みたいに南側に部屋が並び、北側、つまり崖の側はコンクリートの廊下になっている。それぞれの扉には、持主の名札がはってあり、部屋は六畳か八畳ひと間に、小さな台所がついていた。置場がないので、野菜などは扉の外にかけたり、床においたりして、間に合わせているという按配である。
「見ていてごらん。もうじきあいつが風呂に行くから」
あいつというのは、金持ちマダムのことで、やがて彼女はスリッパの音をさせて、階段を降りて行った。風呂場は地下室の奥の薄暗い場所にあり、彼女の部屋は、階段から一番遠くの隅にある。二十分ほどすると、風呂から上って、廊下を帰って来た。「見てごらん」しきりにジィちゃん(引用者注:青山二郎のこと)がいうので、扉のすき間からのぞいていると、彼女はいい気持に鼻歌なんか歌いながら、廊下にかかっている葱を、素知らぬ顔で少しずつぬいて行く。はっきりいってしまえば、盗むのである。
「あれで今夜のお菜ができるのだ。思想とはこういうものだ。わかったか」

「女給アパート」と呼ばれる日々食べることに精一杯のひとびとが暮らすアパートに、「絵に描いたような守銭奴」である「金持ちマダム」が住んでいる。同じく「ジィちゃん」こと青山二郎もそのアパートに住んでいた時分の話である。これは遊鬼―わが師わが友 (新潮文庫)からの引用だが、いまなぜ青山二郎なのか (新潮文庫)では次のようにつづく。

しいていうなら、大金持ちのマダムは守銭奴で、ケチに徹しており、だから大金持ちであったのだが、ひたすら自分の主義を通して生きているところが偉い、そうジィちゃんは見ていた。
(中略)
私の読者が疑問に思ったのは、たぶん思想とは頭の中で考える何か高級なものという概念にとらわれていたからで、それこそ偏見も甚しい。四六時中溌溂と生きて、生活の隅々まで浸透していなければ、思想とは認められないというのが彼らの思想であった。

知行合一という言葉は、日本的な陽明学では実践重視論として理解されている。これは本来の意味とはちがうのだが、ひとまずこの意味として考えてみても、「知」が先で「行動」が後の人はおおい。行動が見えない文章があまりに多い。これは私を含めていえることだろう。「行動が見える文章」とは、なにも実名であるとか仕事の内容を記録しようだとかそういうことでは決してない。なんらかのちがう話をしながら、同時にその人となりや生き方がみえるような、つまりスタイル(文体・生き方)がある文章のことだ。そういう文章を書いてはじめて思想家であるし、芸術家であると私は考えている。