追記

お久しぶりなんですが、お返事をもらいました。ありがとうございます。

つまり、「貴重な資源を無駄遣いするのは間違っている」というより一般的な主張を焼直しただけです。
とりあえずこの考えを受け入れるならば、今度は「理解する必要がある」あるいは「(『無駄遣い』という言葉の)無駄」とは何ぞやという話になるわけですが、そこまできて道徳や倫理といったものが関ってくるように思います。昨日のでは、このあたりのことを指して「価値観」と言ったのでした。

まあ、そのあたりはほとんどわかるんですよ。で、問題意識(理解の必要性の話)も重なっていて、それが道徳、倫理という話だということも共有できていますから、問題はその道徳や倫理がいかに表出されるかということなのでした。
私がテオリアさんの文書と一緒にしていっているから混乱させてしまっているのですが、もともとはHamachiya2さんや弾さんらの話を引っ張ってきているんですよ。で、その話は道徳の話であると。だから、道徳的な非難合戦になりうる。まあ、この手の議論は無意味だという人もいるでしょうし、効率だけを重視するような生き方の人ならば当然でしょうが、私は必ずしもそうはおもわないので、あえて書いたわけです。つまり、道徳や倫理が大事なのだと考えているわけですが、テオリアさんはそれを「処世術」の問題であるとおっしゃった(もっとも、今回のお返事でそれを保留されましたが)。このへんは、私が過去に書いた価値観の問題? - puissance de la paroleあたりがかかわってくるのかな、とおもいます。というか、ほぼテオリアさんと同じことを書いているんですけれどね。あとは表現のちがいかなとおもいます。