断片

  • 2008-02-01 - paisteの日記の「やまとことば」の件と関連して思ったこと。紀貫之が「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と書いた時から、日本語における仮名文字の立ち位置が決まったと思うのだけれど、仮名の字面という面からみれば、「聞き手がすんなりわかるように伝え」ることを、むしろ拒否しようとするところに、特に現代の小説は注力してきた面がある。というのは、思わぬところでふだん漢字のものが平仮名であると、読者に違和感を抱かせたり、新鮮に感じさせたりする効果が期待できるからだ。また、通常言われているような、やわらかい感じもでるかもしれない。ところで、現代仮名遣いにおける仮名の字面と、正仮名遣いにおけるそれとでは、いったいどれだけ(どのように)違うのかというのが、最近の私の関心。
  • 昨日の夜は、パザールという多国籍料理の店で食べた。私は前にも来て食べていたのだけれど、やっぱりビールにあう辛さとしょっぱさで、テンションあがんなきゃ嘘でしょう、という感じでした。辛さだけでなく、辛さの奥にはきちんと滋味があるので、美味くて美味くて、連れがいるのに独り言をのように「美味い」を連呼いていました。人によっては好き嫌いがあるかもしれないけれど、一度は行ってみるといいと思う。
  • 「ぽにぽに」――擬音の問題とその通分性について
  • 無能な政治家と傲慢な教師はどちらが罪深いか。むろん、後者である。無能な政治家は国を滅ぼすが、傲慢な教師は嫌われるだけだ。しかし、人間としての罪を負うべきであるのは、傲慢な教師のほうである。
  • 日本人に必要な思想家は、キリストと仏陀孔子で十分である。あるいは人間全般にとっても同じかもしれない。
  • 降りた人間の言葉に惑わされるな。勝負から降りてなにか分かったふりをする人間の言葉を信じるな。いつまでも苦しみながら勝負している人間こそ信じろ。
  • 殺してやりたいほど他人を憎むこと。しかしこの状態は平和なのである。殺してはじめて混乱となる。