売春女子高生について?

とりあえずnombre さんに話を振っておきます。

テオリアさんのリンクしている文章を全然読んでいないので話が分からないですが:
売春女子高生についていえば、大人は理由ナシに「そんなもんイカンに決まってるだろ、馬鹿者」と言わなきゃダメだと僕は昔から言っている気がします。秩序を守る大人にとって、売春女子高生の発言は真っ向から対立するものだからです。治者の立場も同時に考えて物を考えようとすれば、そうなる。もちろん僕なんて、治者に真っ先に排除されるような人間なんですけれど。
しかし、彼女たちは、いわば快楽主義の代表として見られていた向きがあると思いますが、僕には全然そうは見えなかったのですね。もし彼女たちが、本当に快楽に没することに決め、そこらのオヤジたちをつかまえてセックスに明け暮れていたというならば、僕は「面白いねえ、まったく」と言ったと思います。彼女たちはそうではなく、違うところにお金を使いたいから援助交際をしていたんでしょう。けれども、その金の使い道は、むしろ自分をもっと空虚にしていくような、大量消費的なものだった。
自己責任の話もありましたかね? えっと、そもそもこの言葉はヘンですよね。なぜなら、基本的に自己に責任はあるはずだからです。子どもだろうが大人だろうが、自分のしたことの責任は自分にある。けれども、子どもの場合、親が代わりに責任をとるということになっている。それも絶対ではないですが。だから、「自己責任なんだから勝手(=何かあったら自分が責任をとる)」というのは理屈としては当たり前すぎて、わざわざ言うことではないはずなんです。大人がこの言葉を言うことに関してはこれだけでいいと思います。
しかし、親と子では少し違うかもしれません。なぜなら、親は、そういう責任とは全然関係のないところにいるからです。子どもと親の関係は、基本的には、責任や義務、権利といった言葉の関係ではないはずなんです。乳児や幼児のころの関係と、思春期や青年期のころの関係を混ぜて言うのはよろしくないのですが*1、子どもと親が築き上げたアタッチメント(愛着)は、それらの言葉から限りなく遠い位置に存在します。むろん「子に対する責任感がない」とは言いませんし、時として責任感のみで子どもと関わってしまう時があることも知っていますが。
つまりまとめると(苦笑)、子どもが親に「自己責任だから勝手でしょ」というのは、その意味で間違っていると僕は考えます。あなたたちのベースの関係性に、「責任」という言葉はないはずですよ、とそう思うわけです。
しかし今回は今まで以上に文章がまとまらないね。

*1:少なくとも親にとって子どもはいつまでも子どもという意味で、子どもが幼い頃の話をしますが