• 雨のち曇り。禁煙五日目。
  • 自分と周りのことで手一杯。世界のこととか政治は、もちろん重要だけれど、それはあくまで形而上の出来事でしかない。つまり、政治は、形而上学的に語られなければならないのだ、悲しいことに(本当は悲しんでなんかないけれど)。だから、自分の身になってとか、国家のことは個人に繋がるとか安易に言ってしまうことは、政治の語り方として「正しく」ないということになる。
  • 国家と個人が繋がっている「べき」だ、という論理はありうる。けれども、いったんここで一息つこう。要するに、今は繋がってないけれど、理想としては繋がらなければならない、と言いたいわけだ。つまり問題は、理想についてということになる。
  • みんな忘れているけれど、本当の理想とは政治がいらないことなんじゃないか。二者あるいは多数間の利害対立の調整。こういったものがいらない世界こそが理想。むろん反論としては、理想論の程度というものが出てくる。では、その程度とはいったいなんだろう。現実と理想を天秤にかけながらその平衡を目指したとして、その着地点は? 何より、このふたつは両極端なのだ。一方は政治を必要としている。一方は政治なんかいらない。
  • 平衡というよりはその中間点に、間接民主制があったとしたら、現在の制度は中々に妥当性のあるものだと言えるし、その意味では直接制を唱える論者は妥当性を失っているとも言える。
  • そもそも「べき」論が、妥当性ではなく正当性を問題にしているものであったことを忘れてはならない。――としたら、直接制論者に妥当性を問うても詮無い話である。――つまり、こうして堂々巡りしていくわけだ。