• 風邪を引いた。雨時々曇り。
  • 活字中毒R。の記事。僕もこの鴻上尚史さんのコラムを読んだけれど、ちっとも目新しいことではないなあ、という感想を持っていた。というのは、いわゆる面接系の書物にはよく、日本でもこのような面接方法がとられている、と書かれているのを知っているからだ。それにしても、こうしたセクハラまがいの質問が、それなりの理由を持っているにせよ、安易に正当化されるのは困ったものだと思う*1。それは第一に、窮地に陥ったときの『パニック耐性』を知るためという理由をもってセクシャルな質問をするというのは、言い換えれば、面接官が、それ以外に面接者を窮地に陥いらせる手段をもたないということを意味しているからだ。第二に、仮に面接者が「御社のような立派な会社の面接官が、どうしてそんな質問をするのですか?まったく、納得できません。どうか、説明して下さい」と、怒りながら、論理的に抗議する人がいたら、即、合格というような「基準」を満たしたとしても、果たしてその「基準」が基準足り得るのか甚だ疑問だからだ。本当にできる人ならば、このような質問が意図して出題されたものであることくらい承知しているはずだし、承知しているならば、怒りの矛先はまったく違う方向に向かざるを得ない(少なくともセクハラ発言そのものに食いつくことはない)。そして第三に、いずれにしてもこうした手段は、そのうち常套的なものになって「攻略」が出回ることは目に見えているのだから、根本的な、効果的な面接法とはいえなくなるからだ。面接にしても検査にしても、その人を見ることが出来る、という考え方は、そもそものところで無理がある。むろん、そうといって面接をしないという手もない。だから、面接はかなり限定されたその人の状態をみるものだと考えておくべきなのだろう。
  • それにしても、主語と目的語と述語の混乱が甚だしい文章だと自分でも思う。

*1:もちろん、セクハラ以外の方法もあって、実践されているということもコラムには書かれている。ここではそれを除外して、セクハラのような方法をとることについての問題に対してのみ述べることにしている。