構造は力か?

「この事件は何々という構造で」云々という話を書きたがる人がウェブには多い。きっと頭がいいのだろうけれど、私はそんなことにちっとも興味がわかない。
ある現象の構造を解析することに血道を上げるということは、構造に何らかの「力」があると見ているからだろう。なるほどたしかに、それは一理も二理もある。けれども、そのクールな分析が、単純に記号化されるばかりであるならば、もっとも大事な「力」を見失うばかりで、本末転倒なものにならざるをえないことに気づくべきだ。
本当に頭のいい人とは、一番大事なことが何かを分かる人のことだと私は思っている。解析や計算ができるような秀才は、むしろたくさんいる。