断片

  • osakana blog - 日本の子供たちからインターネットが消える日を読んだ。ポイントは政府が馬鹿なことをしているから政治的に騒ごう、ということではないと思う。重要なのは、「フィルタリングソフトウェアを使わなくても問題なく情報社会で生きていけるような技術なり、倫理なりを身に着けること、そういう教育へ注力する方がずっと大事だろうが! そんな教育のメソッドが無いっていうなら、それこそ国がカネを出して確立するべきところだろう」というところだ。これは政治の問題でもあるが、原則思想の問題である。思想の問題であるからには思想的に落ち着いて語ることこそ、実はいちばんやらなければならないことだろう。そうでなければ、「インターネット」は別の意味で狭量な道具でしかないということになる。
  • 自分が利用している物を制限されるから反対するなんて、子供じみたことはよそうぜ、という人が一人くらいいるものかと思ったら、そうでもないみたい。私は、本当の意味で倫理というのは必要だと思う。しかし、その倫理について、ウェブで語っている人がどれだけいるのか。自由自由という声しか聞こえないように思う。
  • 権利といい自由といい、どちらも生得的に備わっているという考えだ。しかし、キリスト教の信者でなくとも、原罪について少しくらい考えたことのある人なら、法律的なはなしはともかく、思想的にある程度の留保があっていいものだろう。私はやはり傲慢な人間だが、傲慢からできるだけ遠ざかろうとすると、声高に権利だの自由だのと叫ぶのは恥ずかしいものになる。
  • とはいえ、当の法律に問題がないといっているわけではない。法に問題があるならば、そこからどのように語るのかを考えるべきだといっているのだ。それはいずれ、根本的なところで繋がってくるはずだから。