末人

『愛って何? 創造って何? 憧憬って何?……』――こう末人は問い、まばたきをする。
そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はのみのように根絶できない。末人は一番長く生きる。
『われわれは幸福を発明した』――こう末人たちは言い、まばたきをする。
彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。……
飼い主のいない、ひとつの蓄群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。

耳を塞いで目を閉じ、イヤイヤと首を横にふっても過去はくっついてくるし、どうしようもない日常の算段や色々なものを隠したり露にしたりしながら行われる会話だって常に進行形で、それらはやり直すことなんか出来ないし、むしろ取り返しのつかないことばかりで、とは言っても大抵のことは取り繕うことが出来るわけだが、またそうしたものはベタベタと、後から見るとなんとも無惨で、無意味なものとなって自分について回っていると気づく。これらが、最後はフンコロガシの玉みたいに丸くなってくれるわけでもなしに、なんだか不気味で不定形なかたちになったのをみれば、一体自分というものはその中のどこにいるのかと思われるし、仮に色んなものが引っ付いた自分を引き受けるにしても、どうしたらいいものかと持て余す。だいたいにして無意味だし、あるいは恥ずかしい物ばかりで、世間様に自信を持ってお見せする物でもない、結局その図体に合わない小心さで、いつも怯えながら、重い足取りで歩いては座って休み、その度にただ呆然とするほかない。休んでいる時に、軽く飛び回っている人を見かけると、どうしてそんなことが出来るのかと、あるいは軽蔑しながら思ったりもするが、なんのことはない、ただあちこちにぶつかって、重たいものを片っ端から始末しているにすぎず、そのために自分にぶつかられてはたまらないと思い、その場から――ただでさえ重たい体なのに――退避し、退避しながらなぜあんな奴の為に自分が動かなければならないのだと愚痴を言ってみたりする。しかし結局、身につけた不要物を守っている自分に気づいて溜め息をつくのだし、それを気丈に肯定してみせる時だってあるのだが、それだって大した効果なんてなくて、またせっせと歩かなくてはならない。