数値化することでしか尺度を得ない価値観を拒絶する

LifeHack系の話で時々目にするのが、仕事の総量だとか、現在の状態を把握することを、目に見える形で提示するという話。それが広がると、人間の行いや関係性まで数値化しだす。こういうのを科学の横暴だと僕は思っている。科学的に把握しきれない人間を、単純化することで、合理的でクールな人生が送れると、彼らは信じている。しかし、人生がそんなに簡単で把握可能なものだという考えからして、僕には馴染めないし、舐めたもんだと毒づきたくなる。
むろん、極限まで合理的にすることによって、ストレスフリーに過ごすことを目標とするのもひとつの方法だろうし、生き方だろう。ただし、これを僕が認めるのは、その先に、合理化し得ない大変なものがある時だけだ。そのために、重要でないものはサッサと片付けてしまおう、あとの余力を大変なものに向けよう、ということなら、僕はその通りだと思うのだ。
テクノロジーだとかプログラムだとかに熱中するのもいい。それを仕事にするのもいい。しかし、それを人生全般に当てはめるような行いは軽卒だ。クールな気になって人と話していると、そのうち気づくだろう。自分がもっと厄介な存在で、しかもそれは、自分だけではないことを。