断片

  • 北海道立近代美術館の常設展コレクション物語 1977-2007 第II章 ガラス工芸が面白かった。本当はダリ展のほうが人気だったが、あまりの混みように、こんな状態で何が観られるのかと思って、早々に退散した。ガラス工芸はあまり興味がなかったのに、欲しいと思うものが結構あって、なるほどこういうものかと思った。ガラスで思い出すのは、スコット・フィツジェラルドの「カットグラスの鉢」という短編で、ここに描かれる時代背景そのものを、ガラス工芸は体現していると思う(その意味で、小説の出だしはこれしかない、と思うほど秀逸だ)。少なくとも、僕がガラス工芸が苦手な理由はそれで、小さい頃から下手なものばかり見ていたので、飽き飽きしていたのだ。
  • ポップな感性は、芸術と対比させるのではなく、社会学と対比させるべきだ。
  • 白洲次郎 (コロナ・ブックス)のなかの、故宮澤喜一が白洲次郎について述べているくだりが面白かった。一応白洲と宮沢の関係を簡単に説明する。昭和二十五年の四月から五月にかけて、吉田茂内閣は、「ドッジ・ライン」の見直しのために直接ワシントンと話し合いをすることになった。そのメンバ−が、白洲次郎と大蔵大臣池田勇人、そして大蔵省秘書官宮澤喜一だったのだ。宮沢は、白洲と池田の間を上手く取り持つことが、自分の役目だったと言っている(『風の男 白洲次郎』青柳恵介[新潮文庫])。で、その宮沢は、白洲との関係を「フレンド」だったと言っている(ただし、二人は17離れていて、無論白洲の方が上である)。その関係性を前提にして、「とはいえ、彼は決して政治向きの人ではなかった。あれだけ素直に、思うままを喋ってたら、まあ無理ですよ。政治の表舞台に立ったら、三分ともたないだろうと思いますね(笑)。電力会社の会長ほど簡単じゃないですから、なんて言ったら、白洲さん怒るかな」というのを読むと、こういうことを年下に言わせるだけの、「フレンド」な関係を築けるというのは、やはり大変な才能だと思った。