改めて柳沢発言は差別かを問う

この間の続き。

高市早苗内閣府特命担当相(45)は、病気が原因で子供を産めないことを打ち明けた上で「私は“不良品”ということになる」と不快感を示した

僕は高市さんはわりに好きだけれど、こういう発言はほとんど言いがかりである。
比喩というのは、ある目的をもって使われるわけで、その目的が達成されれば比喩として成り立つ。それは前回書いた通りであって、比喩があらゆる意味で対象と対応していなければならない、と考えるのはおかしい。
たとえば今回の柳沢発言は、「数」を問題にしている。「数」が決まっていることの比喩として「機械」という言葉が登場した。それが成立するならば、比喩として成り立つし、意図は差別にないことは明白である。したがって、この比喩には、「不良品」という言葉に示される、「機械」の「能力」という意味は範疇にない。
もちろん、この間も書いたように、「印象」の問題があって、政治家として「印象」の悪い言葉を吐いた、という非難は、分からなくもない。しかし、それを言うならば、一先ず発言の「内容」の正当性を言うべきであって、逆ではない。