読書のはなし

お二方とも分かってらっしゃるとは思うんだけれど、読んだ本の数をかぞえて、それで本を読んでいる/いないというのは如何、という話。僕なんかは、昔読んだ本を引っ張り出してきて適当に開いたページを読んだり、資料的な本でも流し読みで重要な箇所だけ読んだり、といったことを頻繁にしているため、その日に読んだ「冊数」なるものは分からない。どれも中途半端だから「一冊」とはかぞえられないけれど、必要なところは読んでいる。
読書って、たとえば美的なセンスや論理的な整合性の確認、啓蒙、時代考証、その他その他の「目的」があって、それらは人によって様々なんだけれど、「目的」がちがうならば「やり方」だってちがってもいいはずだ。売文を生業とする人とアカデミックな人では、必ずしも「やり方」は重ならない。したがって、冊数だけが読書の多さを示しているわけではないといえる。もちろん、お二方の文書は、そんなことは分かっていて、あえていっているのだろうし、その意図は尊重するけれど。