• ウェブに必要なのは、明文化されたネットマナーではなく、個々の倫理ではないか。「個人」ということを強調する知識人たちは、殊に倫理をもちいて秩序を思い描いた。ウェブは、良くも悪くもそうした「個人」の集合なのだから、彼ら知識人の思考は今こそ必要なのだろう。
  • ここで僕がいう倫理とは、たとえばリンクをどうするとか、そういうことではなくて、「何をどのように書くのか」ということを考えて、自分で制限するという意味。「個人」を尊重しながら秩序を求めるならば、「自由」は自らの意志と力によって制限するしかない。
  • もしも僕らが、その本来のアナーキズムをもってこの世界を壊そうとするならば、それはとても簡単なことだ。しかしそれは、度し難いほどに馬鹿げたことである。なぜなら、どうせまた、同じような世界を作るのだから。
  • ムーン・パレス (新潮文庫)』。この結構長めの小説を、半日で読み切って、どうも僕の心は整理できないでいる。徹夜で頭が変になっているのかもしれない。とにかく――そう、とにかくだ――ポール・オースター流の小難しい話はいっさい抜き(あるとすれば、表現についての文学的な描写だけだ。それも、今となってはありふれたものだ)で、小説によってこんなに混乱したのは初めてだ。オースターにしては大衆向け、と言われるけれど、これほどまでに物語の快楽(テクストの快楽?)を味わったのは初めてだろう。もちろん、個人的な感情や出来事が、都合良くそれに影響しているのはいうまでもないが。
  • もしもの話。自分の大好きなサイトに、「無断リンク」のうえ言及したら、リンク先の文書制作者が「やめて欲しい」「トップページに」と言ってきたら。リンクの正当性を説くか。嫌われたくなくて謝り、自分の文章を取り下げるか。