cure jazz

cure jazzわたしは菊地成孔さんのjazzを聴くたびに、『スペインの宇宙食』のつぎの一節をおもいだす。こんなインチキな戦争があるもんか。こんなんゴダールの戦争だぜ。僕の両親は米軍の空襲で焼け出され、御近所の人々が吹き飛ばされたり焼け焦げたりするのを目の当たりにしたのです。僕は星に誓いました。甘くチャラチャラした歌以外、絶対作るもんかと。この決意を虚無ととるかどうかはとりあえずおいておくにしても、彼の音楽には絶望がつねにつきまとっているがゆえに甘美でありうる、ということだけはたしかのようだ。それはたとえば、同書の冒頭で菊池さん本人が語られているように、嘔吐感をともなう快楽、というものともつうじるのかもしれない。
かなり周到にたくまれた、甘く美しい空間は、むろん「詰め将棋」(同上)だ。けれども、わたしは、その詰め方を「うまい」とおもってゲラゲラ笑うことができるし、そうなるともうほとんどやけくそで、彼のたくらみにまんまとのることになるだろう。それでいい。それ以外に、なにを望むことができるだろう?