東京に住んでいた頃の楽しみといえば桜だった。
私は北海道民で、しかも釧路市育ちだから、大学生になる年までマトモな桜の花なんて見たことがなかった。咲いているのかどうかなかなか判別のつかない様子で、気づいたら散っている。そんなところで育った私が、最初に東京で目にした満開の桜は、ほとんど致命的で、私の存在を大きくゆさぶり、あまりのできごとにパニックを起こして泣きそうになってしまった。私が東京で最初に住んだ、京王線仙川駅には、改札をでてすぐに見事な桜があって、また、駅から家路までには桐朋学園大学沿いに何本もの桜があり、花が風に舞って、時折桜吹雪になった。まさに桜に酔うとはあのことで、桜の花びらにつつまれて私は、果たして自分が息をして良いものなのか、桜の空気は甘すぎて、私の肺は血潮を吹くのではないか、とマジメに思ったりもした。
小林秀雄が、今の桜はみんな染井吉野で、あれは本当の桜じゃない、と怒ったことがあるという。しかし不幸なことに、私は染井吉野以外の桜を見たことがないから、偽者の桜に感動していたということになる。だが、それこそ小林的に、偽者で何が悪い、と居直るしかない。今のところ私のなかで染井吉野は、絶対的な桜であり、退廃的洗練の極みなのだ。
「久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」という古今和歌集紀友則の句はあまりに有名だが、普通下の句に「など」を補って、「なぜ花はせわしなく散ってゆくのだろう」と解されることが多い。けれども、私はこの句を口ずさんで桜の下を歩くことはないだろう。なぜなら、そのような技巧的な、あまりに古今和歌集的な「言葉」ほど、桜の美というものから遠ざかるものはないからだ。
言葉だけが現実との唯一の接点ではない。
いきなり話がとんで申し訳ないが、『自閉症だった私へ』の著者ドナ・ウィリアムズは、本来は自閉症ではなく、自閉症よりも知能指数が高いアスペルガー障碍に分類される。それゆえに彼女は、一歩私たちの世界に歩み寄り、彼女の世界を言葉で説明することができた。そこから私たちは、彼女が見ている世界が、言葉を必要とせず、感覚だけで成り立っていることを知ることができるのだ。

生まれて初めて見た夢を、わたしは今でも覚えている――少なくとも記憶の一番底にある夢を、覚えている。あたりは一面真っ白の世界。何ひとつなく、どこまでも果てしなく白い世界。そこをわたしが歩いている。そしてわたしのまわりにだけは、明るいパステルカラーの丸がそこら中にいくつも浮んで、色とりどりにきらめいている。そのきらめきの中を、わたしは通ってゆく。きらめきもわたしの中を通ってゆく。うれしくて、声を上げて笑いたくなるような夢だった。

そして彼女は、現実に生きている世界でも、この夢と同じようにして生きている。彼女は、言葉を介して現実と接することをしないために、現実にできる限りフィルターをかけないでその中で生きることができる。
ところでこれは、文学の最終的な目標でもあったはずだ。
作者は、状況や風景を読者に体験させようとする。けれども、言葉では限界があるために、むしろ言葉を的確なところで省いたり、あるいは逆に、言葉を豊富に用いて読者の想像をかきたてようとするわけだ。むろん完全には無理だ。無理だからこそ言葉と現実の肉薄は、文学的な課題として存在し続ける。
私は言葉が邪魔で仕方がない。とくにそこに美があるならば、言葉は不かつ不である。もし美を前にしてでてくる言葉があるとすれば、それは流暢性失語のごとく、意味不明なジャーゴンじみたものでしかない。
「美といふものは、現実にある一つの抗し難い力であつて、妙な言ひ方をするやうだが、普通一般に考へられてゐるよりもはるかに美しくもなく愉快でもないものである」とは「モオツァルト」における小林秀雄の言葉である。私はこれを真実だと考える。それは、冒頭で示した、私の体験から直截導いているからだ。私はとりあえず美といってみたが、美は、私の存在を大きくゆさぶり、パニック状態にさせた。美しいがために感動したのではない。「美」というものが私になんらかの状態を引き起こしたのだ。これは美しいとか、そういう安全なものではない。非情に不穏で、危険なものである。
そういう危険なものに対して身を晒すことに楽しみを覚える、ということは、どこかしらアブノーマルなところがあるというのは確かで、だからこそ桜は、常に退廃と背中合わせなのである。