80年代を舐める苦痛と快楽

今更こういう曲を聴いているのは、特別驚くことではないと思う。SPANK HAPPYのような巧まれた「80年代」を聴いているくらいだから、無意識に生きていた時代の音楽も聴く、ということは十分ありうるだろう。
夏の憂鬱」自体は1995年にだされたが、幼少期を80年代で、少年期を90年代で過ごした私たちは、少なくとも95年までは80年代の「空気」が残っていたことを知っているし、このシングルも例外ではない。
私は80年代的なるものと接すると、生理的な嫌悪感を抱くと同時に、やはりそこで生まれたのだといういわくいいがたい感情に包まれる。それはちょうど嘔吐感に似ていて、吐き気によって齎される身体的な苦痛と幼少期の記憶とがリンクする感じと同一だ、といっても分かってはもらえないだろう。どうもこれは、私個人の特殊な感情のようだから。したがって、わざわざ好んで80年代的音楽を聴くというのは、その感慨を舌の上で転がして、じっくりと舐めまわしているということになる。どうも変態じみた趣味だとは思うが、これほどマゾヒズムサディズムと同時に満たす快楽はないだろう。他人には勧めないけれども。
それにしても思うのだが、この2000年代前半というのも、80年代と似た濃厚な空気を纏っている。若い子と一緒にカラオケに行けば、00年代のJ-POPの感性は、90年代的なメロドラマをさらに単純化(退行?)したものだとすぐに得心するはずだ。きっと20年後、つまり私が中年のころになって、私は、ふたたび00年代の「空気」を嫌悪するのだろう。それはそれで、楽しみではあるけれど。